ピルロ(泣)、そして前々監督からアッレグリまで | つぶやきブログ
2002年の日韓共催のW杯で、韓国マンセー報道の
偏向っぷりに唖然。
その後、政治と欧州サッカーの同時進行で
興味を持ちましたが!?

両方とも中途半端な「にわか」ですw

仕事や私的生活を第一優先するためかなり不定期。
いい加減な管理者で申し訳ありません!
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ピルロ(泣)、そして前々監督からアッレグリまで
JUGEMテーマ:欧州サッカー


最終節はウディネーゼ戦でした。
ミランもドロー狙いが明らかな無理しない戦い方でした。

ディダクが初スタメン!
まだ彼にボールもあまり来ないし1試合だけでは判断できないが、展開力も足りず守備のポジション取りもまだまだですね。
いい点はスピード!
でも速さとルックス!?だけでは、困る〜。。。


とにかく!
何といってもピルロがミラン選手、最後の日。


スタメンで出てくれるかと思ったら、本人の意向でベンチにも入らずネスタやガッちゃんたちと観客席にいたようです。
試合終了後は胴上げ、ピルロ男泣き。私も涙をさそわれました。

ピルロは3年契約したかったんじゃないでしょうか?
クラブのほうは年齢が高い選手は、1年にしてリスク回避をしたかったのかもしれません。

ピルロとカッサーノは、EURO12予選の代表に選出されてますね。
ピルロの功績は、ここでは書ききれないのであえて触れません!
他のクラブでも活躍できる能力は十分あるでしょう。


アンチェロッティ時代のピルロシステム。
しかし!?07−08あたりからか・・・
ミランも戦力・補強不足もあり、アンチェさんもかなり苦労していたような気がする。
打開策も少なく素人目にもわかってしまうような交代が続いたりと、いわゆるマンネリ化が顕著でした。

そのアンチェさんも予想通りチェルシーを辞めることになり、同時にピルロもミランを去ることになったわけです。
何とも言えない寂しさがこみ上げてきます。


私が見始めた02−03あたりから、思い出しながらざっと書きたいと思います。

アンチェ時代、4-3-1-2のフォーメーションで、
ガッちゃんが、ピルロの隣でフォーローし、中盤で相手を潰してはボール奪取しピルロにつなげ、そこから攻撃展開が始まったものです。
ピルロをバイタルエリアで潰されないようにしゲームメイクの機会を増やすため『アンカーの位置に下げる』という思い切った采配し、それが功をなした。

02-03シーズンあたりからちょうど、90年代前半の「グランデ・ミラン」を彷彿とさせる勢いがあった時期でもありました。
2002年からミランに加入したネスタに続き、2003年夏のメルカートではカカ、カフーらを獲得。
またシェバも03-04シーズンには再度、得点王に輝いた。さらに「ピルロシステム」でボールポゼッションが高まり、アンチェのこの戦術や効果的な補強で
その年の前後あたりには数々のタイトルを獲得できた、本当にミランのよき時代でした。
あぁ。。懐かしや〜

このピルロシステムで重要だったのは、何といってもガットゥーゾの働き!
DFライン前で蓋をするフィルターの役目や当時右サイドバックのカフーの上がりに応じて、裏のカバーリン等、2つの役割をこなしていた。
闘犬はすごく活躍してましたね。

CL制覇した06-07にも採用されていた4-3-2-1でしたが、翌シーズンの07−08あたりからでしたか・・・
1トップでFWが孤立することも多くなり、めったに苦言を言わないカカが、1トップではやりにくいと、言ったとか??
そんな声が聞こえてきた時期。ただし この辺りの詳細は曖昧です

その後、ベルじい様長年の夢だったロニーを、全盛期過ぎてるにもかかわらず大金で獲得。
バルサの頃と比べかなりパフォーマンスが低下し、左に張ってあまり走らなかったロニー。
ちょっと記憶があいまいですが、左から切り込んだりするドリブルがけっこう得意だった
カカとポジションがかぶって、右やらされたりしたことも。
ベル様の機嫌を損ねるわけにはいかなかったのか?アンチェさん?

ロニーを戦力外にし、放出することへとなったアッレグリとはだいぶ違いますね。
当時の補強メンバーの大差はあるし、また夜遊びやめない私生活といった不真面目さも、放出要因の一端かもしれません。

09−10シーズン。
レオナルド監督の頃には、資金難も理由の一つだろうけど、カカはレアルに移籍。
マルディーニが引退し、以前からずっと言われ続けてきた選手の高齢化、補強不足も作用し、最初は敗北が続いた。
低迷打開のきっかけカードは、CLでレアルマドリードを破った後。
4−3−3(4−3−2−1もちょっとあった)の攻撃的布陣で上向いていく。
ロナウジーニョもパスや足元の技術で徐々に調子をあげてきた。
しかし、サンバリズムに乗ったような"またぎドリブル"などは相変わらず影を潜めてたが
全盛期の6割くらいの力を発揮。
FW陣もパト、ボリエッロらが調子を上げ始め、ネスタが新加入のチアゴとのCBコンビで大活躍を果たした。
しかし、終盤には負傷者の続出に悩まされ、補強不足が響き、交代メンバーの戦力不足が追い打ちをかけ、また調子を落とす。結果、最終的な順位は3位!
ベルルとの確執とも噂されてるが、シーズン終了と共に監督退任。
今じゃ、ライバルチームの監督さん!

私は、個人的にはレオナルドは補強不足のこのメンツでよくやってくれたと思ってます。
戦術的な観点や選手のパフォーマンス、そしてコンディションの関係もあるだろうけど、ガッちゃんとピッポはあまり使ってもらえなかった記憶があります。

その後、今季のスクデット獲得のアッレグリ監督と続くわけです・・・・

7年ぶりにスクデットを取った今シーズン!
選手はもちろん、アッレグリさんの戦術眼で優勝したわけですから
次ページで1年を振り返ります。

身支度・家事しながらのながら観戦で一気に思い出すには、無理があるかもしれません!

な、なんて無謀な更新予告(笑)

でも、あくまで予定!←言い訳

スクデットイヤー2010-2011って、こんなフォメでしたか?

気が向いたらフォメ図も作るかも?
アッレグリさんて選手をいろんなとこで使ったから
交代要員入れたフォメ図は、ぐちゃぐちゃになりそうだなぁ。(笑)

こんな感じでしたっけ?
間違ってたらゴメンです!(爆)

4−3−1−2

                                           アッビ

アバーテ、ネスタ(ジェペス)、シウバ、ザンブロッタ(アントン ボネーラ ディダク )


ガッツ(フラミニ)、ボメル(アンブロ シウバ、ピルロ)、セー (アンブロ メルケル エマ)


                       プリンス (カサ坊、セー ロビーニョ)


                 イブラ(パト)、ロビーニョ(パト カサ坊 ピッポ)


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